リハビリmemo

理学療法士・トレーナーによる筋トレやダイエットについての最新の研究報告を紹介するブログ

歩行適応について考える


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 ヒトは足に痛みがあると痛みを回避するように歩き方を変える。このような歩行の適応は即時的に行われ、その歩き方を続けていることで長期的に適応させる。

 

 変形性股関節症では、疼痛を回避するために立脚後期の股関節伸展を減少させた歩容になりやすい。これは、股関節伸展時に関節負荷が20%増加し疼痛を誘発しやすいためである(Lewis CL, 2010)。長期間、この歩容を継続すると、意識しなくても股関節伸展を減少させて歩くことができるようになり、人工股関節置換術により疼痛が緩解した後でもこのような歩容は残存しやすい(Beaulieu ML, 2010)。

 

 これらの適応機能が備わった理由は、狩猟時代の生活を考えるとわかりやすい。獣から逃げる際に足を痛めたからといって歩けなくなっては助からない。即時に歩き方を変え、逃げ切らなければならない。また、足に痛みが残ったとしても歩けなければ狩りはできない。狩りをするために歩き方をを変え、その歩き方を長期的に適応(自動化)させることが生き延びるために必要であったのだ。

 

 現代医学では、足の痛みを手術により取り除くことができる。しかし、痛みを取り除いても、長期的に適応された歩き方は残存してしまう。理学療法士は、この適応された歩き方を再度、正常歩行に適応させることが主な業となる。

 

 正常歩行とは、運動学的に最も効率の良い移動様式である。生成した運動エネルギーを効率的に位置エネルギーへと変換させ、重力を上手に利用する。このような身体への負担が少ない効率的な仕組みが正常歩行には備わっている。疾患の重症度によっては代償的な歩行を目指すこともあるが、代償歩行では、局所に過度な負担を生じることは避けられない。やはり、正常歩行に適応させることが望まれるのである。

 

 しかし、ここでいう適応させるべき正常歩行とは何なのだろうか?

 

 歩行のトレーニングや評価はリハビリ室で行われる。そこにはフラットな床が広がり、歩行を妨げるものは何もない。患者は歩行に集中し、理学療法士によるトレーニングやフィードバックによって正常歩行の適応を目指す。動作解析や10m歩行、TUGなど各種パラメータの評価により歩行練習の成果を患者と共有する。歩行の改善に患者も理学療法士も満足して患者は病院をあとにする。そして、病院から一歩、足を踏み出すと、凸凹の道、段差や坂道、人通りの多い道を通り、荷物を持って、スマホを見ながら歩く。バリアフリー(barrier free)の病院から一転、そこにはいつものバリアフル(barrier-full)な世界が待っている。

 

 ここ10年で歩行適応のメカニズムの解明は急速に進んだ。それはスプリットベルト・トレッドミル(split-belt treadmill: SBT)という研究機器の登場によるところが大きい。SBTは左右2枚のベルトがそれぞれ独立した速度で回転することができるトレッドミルである。ヒトを乗せ、左右のベルトを異なる速度で回転させて歩かせると、著しく歩容が乱れるが、しばらくすると歩容が安定する。その後、回転速度を左右同じにすると、再度、歩容が乱れ、通常歩行をすることができない。これを「あと効果(after effect)」といい、新たな環境で中枢神経系が獲得した歩行適応が顕在化した結果として観察することができる。SBTは、ヒトの歩行適応を人為的に作り出すことが可能な装置なのだ。

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 2007年、ChoiらはこのSBTを用いて、歩行適応の課題特異性について報告した。ChoiらはSBTにより後方歩行でも左右非対称な歩行に適応できることを示した。そこで彼らは仮説を立てた。前方歩行も後方歩行も同じ神経系が関与しているとするならば、前方歩行で歩行適応した後、後方歩行をさせることで前方歩行の適応は除去(washout)されるはずである。逆に、前方、後方歩行ともに独立した神経系が関与しているのであれば、前方歩行の適応は除去されないはずであると。

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 実験の結果は、前方歩行で歩行適応させた後、後方歩行をさせても前方歩行の適応は除去されず、後方歩行で歩行適応させた後、前方歩行をさせても後方歩行の適応は除去されれなかった。このことから、前方、後方歩行のそれぞれに独立した神経系が存在し、歩行適応は課題特異性を有していることが示唆された。

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 OgawaらはSBT上で走行でも非対称性の適応が可能であることを示し、歩行と走行における適応の課題特異性について調査した。その結果、歩行で左右非対称に適応した後、走行させても歩行の適応は除去されなかった。

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 また、走行で左右非対称に適応した後、歩行させても走行の適応は除去されなかった。やはり、ここでも適応の課題特異性が示唆されたのである。

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 これらの報告により、歩行適応は、その課題により独立した神経機構を用いていることが推測され、ある歩行課題で獲得した歩行適応は各々の条件内においてのみ有効であり、他へ汎化させることは困難であるとの解釈が成り立つ。

 

 歩行適応は課題特異性を有するのだ。

 

 患者は、前方歩行では綺麗な歩容に適応しても、その適応は後方歩行や走行には汎化されない。そう考えると、早い歩行、ゆっくりした歩行、疲労を伴う長距離の歩行にも汎化されないかもしれない。また、荷物を持ちながら、スマホを見ながらの歩行でも汎化されないだろう。

 

 

 今年に入り、Ryan Tらは"Two ways to save a newly learned motor pattern"と題し、歩行適応に寄与する2つの要因を提示した。それは、①新たな環境を与え、②そこで多くの量をトレーニングすることであるというシンプルなものであった。新たな歩行適応を行いたい場合、環境が最も重要な因子になるのである。

 

 環境が変わるとヒトの歩行はそれに適応する。道路が凸凹であればそれに適応し、坂道であればその傾斜に適応した歩き方になる。それはリハビリ室のようなフラットな床での歩行とは異なる。バリアフリーのリハビリ室では綺麗に歩けても、バリアフルな世界では綺麗に歩けるとは限らないのだ。

 

 歩行適応は、課題と環境に対して非常に特異的である。

 

 そう考えると適応させるべき正常歩行の定義が形作られていく。フラットな床で運動学的に正しい歩行様式ももちろん正常歩行である。しかし、患者の生活環境、歩行条件を考慮し、各々の条件を含んだ上で、必要となる歩行課題、歩行環境で用いられる運動学的に正しい歩行様式こそが適応させるべき正常歩行なのではないだろうか。

 そのため、理学療法士は患者の生活背景や歩行条件について詳しく知る必要がある。それにもとづいた歩行練習は平地での前方歩行の評価・トレーニングといった画一的なものではなく、テーラーメイドで患者主体の歩行練習になるだろう。

 

 患者に寄り添い、コミュニケーションをとることから始めなけば、患者主体の正常歩行の適応はなし得ないのである。

 

 

歩行のしくみとリハビリテーション

歩行のしくみ①:CPGについて考えよう

歩行のしくみ②:歩行適応について考える 

歩行のしくみ③:歩行適応の神経メカニズム

歩行のしくみ④:歩行を早く適応させる2つの方法

歩行のしくみ⑤:歩行を早く適応させる2つの方法・その2

歩行のしくみ⑥:歩行の起源

歩行のしくみ⑦:歩き方をデザインする基準

歩行のしくみ⑧:歩行適応における踵接地の役割 

歩行のしくみ⑨:加齢により歩行の適応能力は変化する?①

歩行のしくみ⑩:加齢により歩行の適応能力は変化する?②

歩行のしくみ⑪:歩行速度で余命を予測しよう

歩行のしくみ⑫:歩行速度で転倒リスクを予測しよう

歩行のしくみ⑬:脳卒中後の歩行速度とQOL

歩行のしくみ⑭:生体力学が教える速く歩くためのポイント 

歩行のしくみ⑮:生体力学が教える速く歩くためのポイント②

歩行のしくみ⑯:脳卒中の発症部位と歩行速度

歩行のしくみ⑰:ヒトの皮質網様体路と歩行制御

 

Reference

Cara L. Lewis et al, (2010) Effect of Hip Angle on Anterior Hip Joint Force during Gait. Gait Posture. October ; 32(4): 603–607. doi:10.1016/j.gaitpost.2010.09.001.

Beaulieu ML et al, (2010) Lower limb biomechanics during gait do not return to normal following total hip arthroplasty. Gait Posture. Jun;32(2):269-73. doi: 10.1016/j.gaitpost.2010.05.007. Epub 2010 Jun 11.

Julia T Choi et al, (2007) Adaptation reveals independent control networks for human walking. Nat Neurosci. Aug;10(8):1055-62. Epub 2007 Jul 1.

Ogawa T. (2012) Limited transfer of newly acquired movement patterns across walking and running in humans. PLoS One.7(9):e46349. doi: 10.1371/journal.pone. 0046349 PMID: 23029490

Ryan T. Roemmich. (2015) Two ways to save a newly learned motor pattern. J Neurophysiol. doi:10.1152/jn.00965.2014

 

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